最初と最後の曲が主題の曲で、その間に30曲の変奏曲をはさんだ形になっています。もともとは「アリアと種々の変奏」と題がつけられているものの、とある逸話から「ゴルトベルク変奏曲」の名がついたと言われています。
その逸話とはバッハが音楽を手ほどきしたヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のために夜ごとこの曲を演奏したというもので、その演奏者であるゴルトベルクが曲の名前の由来になっているというものです。しかし演奏には高度な技術が必要で、当時ゴルトベルクは14歳の少年であったことなどから本当かどうかは分からないらしいです。
ピアノが主流になった時代から演奏される機会が無くなってきて、この曲を演奏するための楽器「チェンバロ」もその存在が薄くなりましたが、ワンダ・ランドフスカによって復活し、その録音は高評価を受けました。
しかし、この曲自体は地味な存在で当時はあまり脚光を浴びることは無かったのですが・・・鬼才ピアニスト、グレン・グールドが音楽の歴史を変える偉大な録音を世に出したことで、世界中の注目を集めることになったのです。
レコード会社と契約をした当初、グレン・グールドの天才ぶりは分かっていたものの、デビューアルバムをリリースするのに選曲が当時知る人の少ないゴルトベルク変奏曲で、しかもチェンバロでなくピアノ演奏でやりたいと言い出したことで、レコード会社側は猛反対しました。しかし本人の意思を尊重し、レコード会社側が折れて録音をしたところ、地味な曲だという懸念はいっぺんに吹き飛びました。そこにはみずみずしく、スピード感・情感にあふれる、まさにバッハの音楽自体を根底から変えてしまうような、歴史に残る名演奏があったからです。
当然ですが、当時の保守的な聴衆からは批判も多く受けたようです・・・しかし、歴史に埋もれた名曲を復活させ、新たな音楽の流れを作ったグレン・グールドはその後も多くの名録音や迷録音を残しました。彼は50才という若さで亡くなりましたが、亡くなる直前にもゴルトベルク変奏曲を再録音しています。それもまた録音の歴史に残る名盤となっています。
日本ではアニメーション映画「時をかける少女」で主題と変奏曲が数曲使われているのが印象的でした。