1830年11月にロシア帝国による占領に反抗した「11月蜂起」がポーランドで起こり、9ヶ月間続きましたが敗北。ポーランドはロシア帝国に併合されることとなってしまいました。このポーランドのロシアに対する革命に、肉体的に脆弱なショパンは暴動に参加することはできず、その怒りの感情を代わりにぶつけた曲の中の一曲とされています。
「革命」という題目はショパンの友人であるフランツ・リストが名付けたもので、彼に献呈もされました。「ピアノの魔術師」とまで呼ばれたフランツ・リストは、どんな曲も初見で弾けてしまうほどの鬼才ピアニストで名作曲家でしたが、その彼が初見で弾けなかったほどの難曲です。
ショパンの作曲したエチュード(練習曲)は、「作品10」の12曲と、「作品25」の12曲、あとは出版社に依頼されて書いた3曲があります。従来エチュード(練習曲)とは、その名の通り練習のために書かれたもので、無味乾燥なつまらないものであるのに対し、ショパンはその枠を超えて練習曲ながら音楽性の訓練も兼ね備えた、芸術性の高いものに創りあげました。