デュカス - 魔法使いの弟子
ポール・アブラアム・デュカス(1865年10月1日 - 1935年5月17日)はフランスの作曲家。孤独を愛し、作品は完璧を目指す為1年に1作、長いものでは10年かけたものもあったようです。1920年代に大半の作品(自らが佳作と認めない作品)を破棄してしまったため、現存するのはわずか13曲だそうです。有名なデュカスの作曲家の弟子としてはオリヴィエ・メシアンなどがいます。
作曲家略歴
1865年 パリでユダヤ人の家庭に生まれる
1879年 独学で音楽の勉強を始める
1882年 パリ音楽院に入学
1891年 管弦楽曲《序曲「ポリュクト」》で注目される
1902年 新聞や雑誌に評論を発表
1910年 パリ音楽院の管弦科教授
1927年 パリ音楽院の作曲科教授
1934年 フランス学士院会員に選ばれる
1935年 パリにて死去
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◆魔法使いの弟子について
わずかに残ったデュカスの曲の中で最も有名なもの、おそらく彼の自信作であると推測されます。1940年にウォルト・ディズニーのアニメ映画「ファンタジア」に転用され、ミッキーマウスが「魔法使いの弟子」を演じたことからかなり有名な曲になりました。ただし、映画で使われている曲は音楽監督の1人であるレオポルド・ストコフスキーによってかなり変更が加えられているため、原曲そのものとは異なります。
「魔法使いの弟子」のストーリー
この曲はストーリー構成になっており、曲もストーリーの場面に応じて変化していきます。ストーリーを知ってから聴くとより一層楽しめると思います。
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ある日、年老いた魔法使いが若い見習い(魔法使いの弟子)に雑用を言い残し、自分の工房を旅立ちました。
魔法使いの弟子は命じられた水汲みの仕事に飽きたため、箒に魔法をかけて自分の仕事の身代わりをさせることを思いつきました。
箒は順調に水汲みの仕事をはじめました。しかし、このままうまく事が進むと思いきや、その魔法使いの弟子は箒の止め方を知らなかったのです。
どんどん水かさが増していき、とうとう溢れて水浸しになっても箒は水を汲むことをやめません。
魔法使いの弟子はそれを止めようと鉈で箒を2つに割るが、さらにそれぞれの部分が水汲みを続けていき、かえって状況は悪くなってしまいました。
もはや洪水のようになり、手のつけようが無くなった時、老師が戻ってきて箒にかかった魔法を解きました。
水浸しになった工房はまるで何事もなかったかのように元通りになり、しばしの静寂につつまれました。
その直後、老師は魔法使いの弟子にブチ切れましたとさ。めでたし、めでたし。
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